野村胡堂・あらえびす
野村胡堂の人生は3つに大別され、それぞれが絡み合って綾なして一生を彩っています。
プロフィール
明治15年10月15日岩手県紫波郡大巻村(現紫波町)に生まれる。明治35年盛岡中学卒業後、明治40年東京帝国大学法科に入学、明治43年卒業を目前にして父の死亡により退学。同年郷里旧彦部村出身、日本女子大学卒の橋本ハナと結婚。子ども4人を授かるが、3人を病で早くに亡くしている。明治45年報知新聞社に入社、政治部に配属、記者生活に入る。
大正3年政治面の政閑期の記事”かこいもの”に初めて胡堂のペンネームを用いる。大正13年「あらえびす」のペンネームを使って報知新聞のコラムに音楽漫談『ユモレスク』を連載。 昭和6年に文藝春秋社「文藝春秋オール読物号」に『銭形平次捕物控』を創作掲載、以後27年間383編を掲載、他に『池田大助』など創作した数はおよそ700編におよぶ。昭和24年捕物作家クラブを結成し、初代会長に就任。昭和32年眼疾患悪化のため「オール読物」8月号の『鉄砲の音』が「銭形平次捕物控」の最後となる。
昭和33年菊池寛賞受賞、昭和34年紫波町第一号の名誉町民となる。昭和35年紫綬褒章受章、昭和38年2月、私財約1億を資本に野村学芸財団を設立。同年4月14日肺炎により死去。従四位勲三等瑞宝章を贈られる。